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地図好きの子供が小瀬古文庫になるまでの道のり

June 10, 2021

幼少期から小瀬古文庫「gitai」に至るまで、ざっくりですが経歴を作りました。現在の擬態と関係ありそうなところも書き加えたりしています。

幼少期(1985-):埼玉の吉川・越谷で過ごし、幼稚園で神奈川・厚木へ。電車大好き(推しは京浜東北線)。駅名で漢字を覚えたり、落書き帳には架空の道路地図を殴り書きしたり(そこはなぜか車)。この時の偏愛が、小瀬古文庫での地図シリーズに活きている、気がする。好きな寿司ネタは玉子。10皿中5皿は玉子。

小学校(1992-):地図帳を読みあさっていたので、日本地図と路線図道路地図はこの時にインプットされている。友達と漫画描いたりしてた。スライムやぷよぷよみたいな三角や丸の形が好きだったと思う。人間キャラは形が複雑なのであまり興味持たなかった。

中学校(1998-):中学校が荒れていたので、あまり学校は楽しくなかった。パソコンを買い与えられて、ゲームしたりインターネットしたり、ビートルズの好きな曲をPCで取り込んでCDに焼いたりして遊んでた。

高校(2001-):ライブドアが無料インターネットをやりだして、Webにのめり込む。ホームページ作ったりした。勉強がしんどくなって(笑)美大に行く!と美術への道を決める。ちなみにアコースティックギター、合唱、美術と、芸術系の部活を色々とやってました。

浪人(2004-):しかしデッサンが下手だったので、現役合格できず。ひたすら描いて描いて描きまくる一年でした。

大学(2005-):美術大学に入るもいきなりボールルームダンスにはまり、4年間をついやす。企画が好きだったので、デザインよりも商品企画寄りになっていく。あとは暇さえあれば日本各地を旅していた。小平・立川で一人暮らしを始め、自由を謳歌する。

ブランク(2009-):商品企画職は一般大学の優秀な人たちと競合して、なんで美大いったんだろ、ってなった(やっぱり手を動かしたかった)。スタバでバイトしたけれど、向いてなさすぎて辛かった。彼女にふられた。仕事できるできないで言えば後者になるので、そうじゃないところで勝負したいな、と思ったり。就活も一瞬だけした。

大学院(2010-):海外からの留学生が優秀すぎて、必死こいて勉強したり、作品を作った2年間。ここあたりで擬態のコンセプトが生まれたりしている。台湾の大学とワークショップをしたことをきっかけに、海外・特にアジアを旅したりするようになった。広告とかよりは、出版の方が好きだったかな。

デザイン事務所(2012-):デザインを仕事となって始まった時期。紆余曲折、飲んで人に相談したり、自分のやりたいことを考えた時期でもある。そして結婚して中国を往復したり、いろいろ旅したり。一瞬横浜に住んで、三鷹に引越し。

小瀬古文庫(2016-):アートブックフェアの存在を知り、ビビっときたので、初作品「肉する擬態地図」を制作し、東京アートブックフェアに出展。国内外の面白い出展者やお客さんの熱気に触発され、以後アートブックを発行するようになる。そして、海外のアートブックフェアに出展するようになる。最初は別に擬態でアートブックを出し続けるつもりはなかったのだけど、結果的にそうなったので、「gitai」という名前でマガジン化した。その後活動の場所を湘南・藤沢に独立し、自身の中で出版を拡張しながら活動し続けています。